「何があった、リーアン伍長。報告せよ」
零は屋根を駆け、庇から飛び降りて、司令部に到着した。
「はっ、街の外に出ていた斥候が二名死亡、そして一名が重傷です」
焦ったように若い軍人は、敬礼して報告する。
「何があったのかと聞いている…」
「はっ、それは自分もよくわかりません……帰還した兵には希崎曹長が付いていますが、何しろ右腕が焼失するなどの重傷でして…」
「わかった、行って話を聞いてみよう。伍長はエドガー准尉に索敵を開始するよう伝えてきてくれ」
「了解しましたっ!」
「周りの兵に銃のセーフティーを解除するように触れ回るのも忘れるな」
「はっ!」
敬礼をして、若い軍人は走り去った。
「ラウラ通信兵! 警戒態勢をとるように全部隊に通達を!」
「はいっ! 了解しました」
零は女性の通信兵から無線機を受取って、野戦病院へと向かう。
Sing024 執行者
野戦病院の代わりに使っているテントに入った瞬間、零は肉が焦げたような匂いに眉根を寄せた。
「む………」
テントのベッドには、若い女性の衛生兵が寝かされていた。
アンジェはその女性の肘から先の無くなった腕を取って、能力を発動させているのか淡い光を纏っていた。
「……アンジェ、いいか?」
声をかけられて、アンジェは振り向いた。
「………零さん」
「何が起きたのか、わかるか?」
零は意識の無い女性の腕を見る。それは焼け爛れ、もう使いものにはならないようにしか見えない。
しかし、アンジェは力を使わずにはいられないのだろう。
「私は交代した後のことでしたから、私もよくわからないのであります。……すみません」
「いや、気にするな……では質問を変えよう。この傷、アンジェはどう思う?」
零は、その傷に思い至るところがあった。これはただ運動能力や耐久性が優れているだけのウェンディゴの攻撃方法からはかけ離れている。
邪神が敵だとしたら逃れられはしないだろう。であるならば――――
「私は、執行者のものだと思いますが……」
執行者、そうアンジェは言う。
「俺と同じ考えだな、もしそれが当たっているならば最悪だが」
神に神託を受けた宣告者と対を成す『執行者』は邪神に神託を受けた者たちだ。
その能力は宣告者より高く、現在では宣告者が極少数になってしまったのは執行者との戦闘によるところが大きい。人類の希望たる宣告者の天敵だ。
「この傷を見るに、血液が蒸発しているな……」
「ただの、発火能力では無いという事でありますか」
「恐らく、範囲内の生物の体液の温度に干渉しているのだろうと思う。トリッキーな能力が多いからな、あちらは」
「なるほど……もしそうであれば、それは人間である私たち宣告者にとっては死神、ですね」
血も涙も無い人間なんて、居ませんから。とアンジェは沈む。その体は、小刻みに震えていた。
「………怖いか?」
「零さんは、怖くないのでありますか…?」
「怖い、かもな。仲間が死んだのだから当然だ……自分が死んでいた可能性もある」
深い溜息を吐いて、零はアンジェに背を向けた。
「どちらに?」
「これ以上の死傷者を出したくはない、例えこの身を犠牲にしてもな」
「それは……駄目、です。零さんは死んじゃいけないんです…! 絶対に!」
「……この身を犠牲に、は冗談だ。その者のことは任せたぞ」
零はテントを後にした。怖いのかもしれない、でも体は自然と戦場へと向かっていく。
体が、戦いを求めている。右目が、熱を帯びているのだ。
その時、通信が入った。
[隊長、こちらエドガー分隊。紅蓮の大地にて正体不明の人間を発見。こちらには気が付いていないようですが、いかがいたしますか?]
通信は索敵に向かわせた老練の偵察兵、エドガー准尉からのものだった。
「どんな手合いだ、逃げ遅れた街の者かも知れん」
[それは無いでしょうな、焦げた人間の腕の匂いを嗅いで悦に浸っているようですから。……正気の沙汰とは思えない]
「成る程、監視を続けろ。…今から向かう、恐らくそれは執行者だから手を出すなよ」
「了解、監視を続けます。オーバー…」
通信を切り、零は紅蓮の大地と呼ばれる赤土の地へと向かう。
「ペルセフォネ、アリアドネ……力を貸して貰う」
「無論よ、零」
「…アシストは………任せ、て……?」
零の右目の虹彩が、赤き五芒星を描く。
空中に投げられた冥界の妃はその身を変貌させる。
「少し、本気を出さなければな……」
懐かしい、昔の戦場の感覚。自らを死に追いやる敵の存在によって、やっと自分に付けていたリミッターを解除できる。
戦鬼と呼ばれ、他国との外交によって陸軍の部隊から空軍に追いやられた経歴を持つ、その力を。
「あれか………」
零はエドガー准尉の偵察部隊に合流し、丘の上から敵を見た。
「なるほど、確かに気配が違う……」
ビジネススーツに身を纏い、焦げた人間の腕を肩に担いだ中年の男。確かに、異質の存在だった。
「エドガー准尉の部隊はここで待機を、一つ挨拶をしてくる。……リーアン伍長、俺の認識票(ドッグタグ)を預かっておいてくれ」
零は若い兵に首から下げていた認識票を外して渡した。
「……了解しました、幸運を」
「祈る神など、既に居ない世界だろう……」
零はオートマチックの銃に姿を変えたペルセフォネを構え、丘を駆け下りる。
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